モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記㉒ おまけ
おまけ。本編に書くほどのものではないものを残しておく場所。というわけで、旅行記本編で書くほどのものではなかったもの、書き忘れたもの、その他もろもろのコーナーです。気づいたら増えてるかも。
そもそもの旅程
そういえばそもそも全体の旅程の話をしていなかったので。
1日目:成田→モスクワ
2日目:モスクワ(クレムリン等)
3日目:モスクワ(パトリオットパーク)
4日目:モスクワ(宇宙飛行士博物館、軍楽隊演奏会、プーシキン美術館)
5日目:モスクワ→サンクトペテルブルク(教会巡り、フィルハーモニー)
6日目:サンクトペテルブルク(エルミタージュ、バレエ)
7日目:サンクトペテルブルク(エルミタージュ新館等)
8日目:サンクトペテルブルク(要塞、ロシア美術館等)
9日目:サンクトペテルブルク→モスクワ→(飛行中)
10日目:(飛行中)→成田
と、まあこんな感じ。滞在自体は長めで休める体制だったものの、観光の旅程は歩行距離も長くかなり激しいものだったなあ、と今になって思いますね。
行き損ねた場所メモ
モスクワとサンクトペテルブルクで、行けなかった場所。もはや旅行記ではないけれど。
ロシアで一番有名な劇場。目の前までは行ったけれど、中は行く時間が無かった。チケット代も他の劇場に比べて明らかに高かったので少し厳しい。
◆1812博物館
モスクワの国立歴史博物館の分館。1812年のナポレオン戦争のみについて語った博物館。ここも時間が無かった。
ちなみに国立歴史博物館は行ったのに記事に書き忘れた。正直印象が無い。
サンクトペテルブルク郊外の宮殿。ここは皇帝一家が夏に住んでいたとかいう場所なので夏に行くべきかも。
◆エカテリーナ宮殿
サンクトペテルブルク郊外の宮殿。ここも皇帝一家が夏に住んでいたとかいう場所なので夏に行くべきかも。
◆サンクトペテルブルク中央軍事博物館
閉館日で行けなかった。カラシニコフ展をやっていたという噂があった。
◆サンクトペテルブルク中央海軍博物館
近くは通ったが時間が無かった。そういえば海軍系の展示は確かにほとんど見られていない。
鉄道系の博物館、そういえば行けば良かったと帰国してから思った。旅行中は完全に頭から抜け落ちていた。
他にもあるかもしれないけれど、とりあえずこんな感じ。今回訪れた施設の中でももっとしっかり観光したい施設が数多くあったので、まだまだ行き足りない。特にサンクトペテルブルクは1~2週間くらい滞在したいくらい。
食事の話
ロシアでの食事の話。その辺で適当にパンを買った日もあれば、レストランでそれなりに食べた日も。というわけでここにメモ代わりにまとめる。
1日目昼:機内食(写真無し)
1日目夜:機内食(写真無し)
2日目朝:カロリーメイト
2日目昼:トレチャコフ美術館で売ってたパン
2日目夜:レストラン(ヴァレニチナヤNo.1)
3日目朝:カロリーメイト(2日連続2回目)
3日目昼:パトリオットパークのレストラン(カフェ・アーミー)
そういえばロシアのレストランはセルフ方式が結構多い。ここもそうだったのだが、我々は入ってすぐ迷っていた。教えてくれた現地のおじさんありがとう。
3日目夜:レストラン(ムームー)
4日目朝:カロリーメイト(3日連続3回目)
4日目昼:KFC
4日目夜:グム百貨店内の食堂
5日目朝:カロリーメイト(4日連続4回目)
モスクワで泊まったホテルには朝食がなかったので、毎日のようにカロリーメイトをぽりぽり。8~9箱持って行ったカロリーメイトが火を噴いた。
5日目昼:レストラン(ソヴィエトカフェ)
5日目夜:レストラン(スリコ)
6日目朝:ホテルのレストラン
サンクトペテルブルクのホテルには朝食があったのでのんびり食べていた。毎朝ヨーグルトを飲んでいた。
6日目昼:エルミタージュ内でジュースだけ。時間が無かったので…。
6日目夜:レストラン(ストロガノフ・ステイク・ハウス)
7日目朝:ホテルのレストラン
7日目昼:マクドナルド
7日目夜:レストラン(カフカス・バル)
8日目朝:ホテルのレストラン
8日目昼:ペトロハヴロフスク要塞内の食堂
8日目夜:レストラン(マシャ・イ・メドヴェジ)
9日目朝:ホテルのレストラン
9日目昼:マルカメ
9日目夜:機内食
10日目朝:機内食
10日目昼:成田空港内(中華そば 富田)
ロシアでの食事は、写真で見るとそんなに美味しそうに見えないような感じがする。ちゃんと美味しいものは美味しかったのだが…?
赤髪の話①
※注意事項※
個人の価値観と酷い偏見に満ちた汚い文章のため、ブラウザバック推奨。
こんな文章を読むくらいならプニキやれ。
私は友人にしばしば「赤髪のキャラクターが好きすぎる人間」「赤髪ならなんでもいい奴」「髪色しか見てない」「作品に赤髪がいないと興味も示さない」「赤髪のキャラを見るとお前を思い出すようになった」「赤髪狂」などと言われる。酷い言われようだ。そんなに赤髪のキャラクターばっかり好きになっている自覚は………………
ある。悔しいが、ある。病的なくらい赤髪のキャラクターが好きと言われるが、まぎれもない事実である。赤髪であれば知らない作品のキャラクターであっても気になるし、名前もすぐに覚える。新しく飛びこんだコンテンツでも、どうしても赤髪のキャラクターに最初に目が移る。人にお勧めされるコンテンツの判断基準として、赤髪の可愛いキャラクターがいるかどうかが一つ重要なものとして存在している。というわけで、この赤髪についての話をしよう。
赤髪とは
そもそも、赤髪自体は欧州、特にイギリス周辺を中心に、割合は少ないが実際に存在する。ワインレッドに近い明らかな赤色から、本当に赤髪と呼ぶべきなのか、と少なくとも私が思う程度には金髪に近い赤色まで、様々な赤髪があるそうだ。*1日本では、有名な小説である「赤毛のアン*2」の主人公アンが有名だろうか。ハリーポッターのロン・ウィーズリーも赤毛だし、映画版で彼の役を演じたルパート・グリントもその一人だ。しかし、そもそも赤髪の人口が少ないこともあり、様々な歴史的経緯に由来して、特にイギリスでは差別的な扱いを受けることが多いという。*3英国王室のヘンリー王子*4でさえ、その赤毛を揶揄されたことがあるという。*5しかし、Red Hairで検索して出てくる方々の写真を見るとなかなか美しい髪色をしている、と思わされる。
また、数こそは少ないが髪の毛を赤く染める人も、これは世界中に存在する。X JAPANのhideのような、ロックバンドの印象が強いだろうか。流石に原色に近い赤は少ないが、赤みがかった髪の人はしばしば日本でも街中で見かける。
そんな三次元の赤髪も嫌いではないのだが、私はそういう話がしたいわけではない。ここからは、主に二次元コンテンツにおける赤髪の話をする。
アニメ、ゲーム、漫画、小説など、実世界を舞台にしない物語では、当然設定の自由度が広がる。それは髪色についても言え、現実では少ない紫色や桃色はもちろん、部分によって違う髪色のキャラクターも近年では増えている。例えば、遊☆戯☆王の武藤遊戯*6、艦隊これくしょんの長波*7、Fate/GrandOrderの清少納言*8、にじさんじの夜見れな*9あたりが挙げられるだろうか。極端なところで言えば、うる星やつらのメインヒロインであるラムの髪は虹色に設定されているそうだ。*10が、実際のところ髪色の扱いは作品によって様々である。例えば、赤髪のキャラクターが本当に赤髪であるか、というのは作品によって異なる。実際に赤髪の作品もあれば、キャラクターの区別、イメージ付けのために、実際は黒や茶髪のキャラを赤髪として描いているということもある。そのあたりの解釈の違いは、作品によって異なるものの、こういった事象がある裏には、赤髪のキャラクター、赤という色に対する我々人類が抱く共通イメージがある、ということなのだろう。髪色でそのキャラクターの性質の一部を表現する技法は、しばしばみられる手法である。*11
では、赤髪のキャラクターに我々が抱くイメージとは、つまり赤色に対する我々のイメージとは一体なんだろうか。こういった色のイメージは、おおよそその色を代表するものから来ていることが多い。
赤は、炎の色である。炎は世界を焼き尽くし、一方で世界を照らす光を産む。また、人や物を温める存在でもある。また、概念としての心の中の火は、情熱・激情の象徴である。
赤は、血の色であり、戦いを表す色である。赤い星である火星は、その名を戦の神に由来する。
赤は、警告色である。生物が毒を持つことを主張したり、それに擬態するための色である。血の色であるためか、警告色であるためか、人は赤色に対する反応が強い。標識や、信号の赤は強い意味合いを持っている。
赤は、心臓の色である。中世、愛を司る器官として扱われた心臓は、やがて、ハートマークとして表され、赤いハートマークは恋愛・情愛の象徴になった。
こんな感じだろうか。赤色といえば、他にも革命、共産主義、丹、辰砂、林檎、花、夕焼けなどが挙げられるだろうが、キリがないのでこの辺りで止めておく。以上のことから、赤髪のキャラクターに与えられるイメージと言えば、炎属性、好戦的、暴力的、情熱的、情動的、 身勝手、恋愛的、性的、あたりだろうか。赤髪のキャラクターが全てこの特徴のどれかに当てはまるわけではないだろうが、物語で赤髪のキャラクターが出てきた時、我々はそのキャラクターにこういったイメージを抱くのではなかろうか。*12
ところで、赤髪のキャラクターとは言ったものの、赤という色は範囲が広い。赤に近い髪色として、桃色・ピンク色、赤茶色・茶色、朱色・橙色、紫色などが挙げられる。これらの髪色のキャラクターは、もちろん赤との接点が無いキャラクターも多いだろうが、一方で赤色のイメージを一部受け持っているキャラクターもいるのではないか、と思う。*13が、ここでは深く追及はしない。
また、キャラクターにおける赤という色を語る上で欠かせないのが、日本における戦隊シリーズではないだろうか。赤は主人公の色、というイメージを付けたのは、ゴレンジャーの系譜を継ぐこのシリーズの貢献が非常に大きいはずだ。これは、赤髪のキャラクターの話とは少し離れるが。
赤髪個別論
ここからは、赤髪のキャラクター個人について語っていく。が、私があまりよく知らないキャラクターについても記述しようと努力した結果、曖昧な語りのキャラが何人か出てきてしまっている。じゃあ語るな、と言いたい。ちなみに、私自身が女の子について語りたいので赤髪の女の子の話ばかりになる。*14
赤髪のキャラクターと言えば、どういったキャラクターを想像するだろうか。古今東西、様々な赤髪のキャラクターがいるだろう。その中でも、世界的に著名な赤髪のキャラクターと言えば、ディズニー映画「リトル・マーメイド」*15の主人公のアリエルではないだろうか。
そもそも、原作のアンデルセン童話の「人魚姫」は金髪だったそう。それが赤髪になった理由は、その5年前に「スプラッシュ」*16という実写映画が同じ「人魚姫」を題材として公開されており、この金髪の人魚姫とのイメージとずらしたかったからだとか。その髪の赤色が、海の青・尾のエメラルドグリーンと合わさって綺麗な映像を作ったとか聞くと、なかなか面白い話だなあ、と思う。私は残念ながら見たことが無いのですが。
アリエル自身の性格は、その髪色の経緯もあって赤のイメージと合うイメージはない。そもそも身近に赤髪が現実に存在する西洋文化で赤髪に特別なイメージを持たせるのは不味い。
ところで、実写版リトルマーメイドに赤髪の子を何故使わないのか、みたいな話があったようななかったような。様々なマイノリティに配慮しなきゃいけないというのはなかなか難しいんだなあ、とその時思ったような思い出。
日本のアニメで赤髪のキャラクターを探すならば、古いところで言うと「キューティーハニー」が挙げられるのではないだろうか。キューティーハニーは、その名を冠するアニメ「キューティーハニー」*17の主人公である如月ハニーの戦闘用フォーム。元の如月ハニーは金髪であり、また、様々な別の姿に変身する*18が、基本の戦闘用であるキューティーハニー、つまり赤髪の形態が最も印象深いのではないだろうか。
このキューティーハニー、全体的に赤・ピンクがテーマカラーのキャラクターであり、かつハートマークを意匠として用いている。そのイメージは、戦闘用であり、かつお色気要素が強い、という今につながる赤・ピンク色のイメージをこの時点で作っているような気もする。流石に気のせいか。
ところで、キューティーハニーの第一話がYouTubeで公開されている。全裸になる過激すぎる変身シーン、OPと共に登場するキューティーハニー、何故か歌いながら戦うキューティーハニー、となかなか面白いので興味があれば見て欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=BInwUlJ-YhM
ここまで何とかかんとか書こうとはしてみたが、あまり知らないキャラクターを語るのはいくら赤髪でも正直苦しい。とはいえ、新たな発見があったりするので面白い。…が、流石に無知で語るのは限界がある。作品を見ればよいのだけれど、なかなか時間の確保が難しいというわけで、ここからは何人か有名どころを列挙するだけにする。らんま1/2の早乙女らんま、エヴァンゲリオンのアスカ、アニメポケットモンスターのムサシ、ToHeart2の向坂環、灼眼のシャナのシャナ辺りが挙げられるだろうか。もし奇怪な人間がいて、知らないなりに書け、と言われたら諦めてちょっとだけ書くかもしれない。このあたりの方の性格が赤髪の喚起するイメージに合うのかは分からない。でも赤髪のキャラってだいたいツンデレか元気系か姉等の年上系の3つが多いような気がする。
ここからは私が好きな赤髪のキャラクターの話をしよう。
私が赤髪のキャラクターを明確に好きだとなった初めてのキャラクターは、恐らくポケットモンスターブラック/ホワイト*19のジムリーダー、フウロ。まだネットで情報を仕入れることをしていなかったころの話。何も知らない私は意気揚々と冒険を楽しんでいた。それこそ、そのころの私はまだキャラクターへの愛はまだ弱かったくらい。フキヨセジムに意気揚々と挑んだ私は、BW特有の彼女のカットインに一目惚れしたのでした。*20
溌剌とした性格、攻撃的なジムの仕掛け、今にも飛び出さんとするカットイン、美しい赤髪、その髪を目立たせんかとする水色の飛行服。非常に完成されたキャラクターデザインだと今でも思う。それにしても胸の主張が凄い。そこもすき。
私の赤髪好きはここから始まったと思っているし、良くも悪くも、私はフウロに性的趣向を歪められたと今でも思っている。大変罪深いキャラクターである。惜しいと思ったのは、ポケモンというシリーズがあまり人物に焦点を当てた作品では無いことだろうか。フウロの台詞数はタワーオブヘブンでのイベントくらいで少なく、BWでは再戦すら不可能。それでもプレイヤーに深い印象を残したというのは凄い、とも言えるが。
アニメ…?知らない子ですね…。
それにしても、フウロを始め、BWのキャラクターデザインは非常に秀逸だと今でも思う。もちろん物語上の見せ方もあるのだろうけれど、イッシュ地方のキャラクターの人気が他の地方と比べてもかなり上位に位置していると思えるのは、気のせいではないだろう。フウロを含め、カミツレ、N、メイちゃんの絵とかは未だに見る。私はトウコ派ですが。*21
さて、次に挙げたいのはファイアーエムブレム覚醒*22からティアモ。赤髪ロングの天才天馬騎士。なんでも器用にこなす…というのが少なくとも世間の評判。能力面ではかなり露骨に優遇された一方で、恋愛面ではかなり冷遇されていたキャラクター。というかその差がアイデンティティのキャラクター。*23*24走るのは意外と遅いところとかも結構愛らしく思える。覚醒の女性キャラではルフレ、ルキナ、サーリャと並んで人気だと感じる。みんな赤髪の魅力が分かったのか!(違)
ところで、ティアモとルフレの支援Sの一枚絵の話なのだが。身長差を表現したかったのだろうか、ルフレの肩の位置くらいにティアモの顔がある。私のルフレ君は体格の小さい、少年寄りの容姿を選んでいたため、この身長差の違和感が凄い。私は初見で膝立ちしているのだろうかと解釈していたのだが、冷静に他の体格のルフレの存在を思い出して????となってしまった記憶がある。どうでもいい、一部のプレイヤーにしか伝わらない小ネタなのだが。
なんだかんだでFE無双やifにもそれっぽく出張しているし、FEHでも超英雄を2つを貰っているので、かなり優遇されている。超英雄の1つはその本編での恋愛面の不遇さを逆手に取った花嫁衣裳、もう一つは水着衣装で貝殻の槍。花嫁衣裳が出た時、私は本当に泣くかと思った。FEHがあって良かったと思ったものである。
そのティアモの娘であるセレナは、ゲーム中でこそ赤髪になることはできないが、公式絵等のデフォルトカラーは赤髪。*25ifやFEHといった別作品に出演する際も赤髪。公式的には、母親の髪色と同じ色を採用したいらしい。私のプレイでは紫髪だった*26が、ifやヒーローズを通して赤髪というイメージが一番強くなってしまった感じがある。覚醒プレイ時はこの髪色が標準だと思っていたけれど、いつの間にか公式絵(母親)の髪色に認識がずれていった…というのはあるある話だと思う。母親が赤髪ロングなのに対して、こちらは赤髪ツインテール。しかもかなり長め。戦っているときに邪魔にならないのかと心配になってしまうが。そういえば、FEシリーズにおいて赤髪ツインテールというキャラクターは他に思い当たらない。*27シリーズ通して彼女一人の個性であると考えると、その髪色になかなか面白いものを更に感じてしまう。
その性格は母親の万能さを見て育ったせいで少々捻ったものに。比較対象のレベルが高すぎると人の性格は少し捻じれてしまう、というのは納得できる。その結果誕生したのが素直さを失ったツンデレ。とはいえその内面に穏やかさ、素直さを残しているような気配も感じるので、そこに母親の優しさを感じられるような。母親の万能さへの劣等感から、天馬に乗らずに地に足をつけて戦う姿は何か心に来るものがある。比較され続ける超えられない存在と愛すべき優しき母としての2つの意味を持つ存在は、未来世界での戦いの過程の中で神格化されていったのだろうか。非常に良い関係性だと私は感心したものだ。母親と違って足が速い…のだが、その優勢を彼女が知るのはいつになるのだろう、知った時どういう反応をするのだろう、と今でも思う。
この親子は、その設定の都合もあり覚醒の中で1~2を争うレベルで強い。その強さもやはり人気の秘訣なんだろうか、と今になって思う。起用回数がそのまま愛着に繋がるのはよくある話、ではあると思う。*28
ところでそろそろセレナにも超英雄が欲しい。FEHのスタッフさんなんとかお願いできませんかね。*29
今思うと、私が赤髪好きを名乗る根幹を作ったキャラクターはこの2人だろう。*30この2人の影響が今まで尾を引くことになるわけだが、それが私においては偶然赤髪であっただけで、幼少期・少年期に触れたコンテンツに嗜好が左右されるのはままあることではないのだろうか。読者諸君にも今持っていて、自覚している嗜好があると思う。その源流をたどってみると、意外なところに行きついたりしないだろうか。私自身もまだ、フウロ以前に源流があるかもしれないと思って捜索を続けている。自らの好みの源流を辿る旅をしてみるのはいかがか、と提案してこの文章を終える。
ところで、タイトルに①とついてあるが、続きを書く予定はない…が、一応好きな赤髪のキャラクターのストック自体は何人かいるので、気が向いたら書くかもしれない。艦これの嵐とか、FE Echoesのセリカとか。もしかすると少し拡大してピンク髪/紫髪の話をするかもしれない。
*1:現実の赤髪と呼ばれる人々は、だいたい我々の色彩感覚だとオレンジ・朱色に相当することが多い。
*2:ところで赤毛のアンという題名は日本語訳の時につけられたものだそう。英題はAnne of Green Gables。髪の色とは全く関係が無い。
*3:赤毛の人口が多い地域としてアイルランド・スコットランドが挙げられるらしい。イギリスでの差別的な扱いはそういう面もあるのだろうか。
*4:王室を既に離脱しているが、一般的に彼は王子と呼ばれるのでここでも王子と呼ばせていただく
*5:Carrot-Tops: Being Red Not So Easy - ABC News
*6:金+黒+赤。冷静に見直すと非常に奇抜な髪型をしている。
*7:外側が黒色、内側がピンク色。いわゆるインナーカラーだろうが髪が長すぎてよくわからない。
*8:黒+水+赤が複雑に並ぶ。この配色でバランスが取れているのは正直凄い。
*9:左右が白黒ツートンカラー+ちょっとだけ赤。おそらく赤い部分は髪の内側と思われる。
*10:実際は、CDの裏やタマムシのような構造色に由来する、見る角度によって色が変わる虹色という設定らしい。アニメ版は作画の都合で緑に固定されたそう。
*11:これを逆手にとって、髪色等の見た目とのギャップを狙う作品もあるだろう。
*12:私は海外の作品に詳しくないので、海外のキャラクターの髪色とそこから喚起されるイメージの一致度合いについては知らない。髪色とそのキャラクターの属性を一致させるのは、もしかすると日本だけの話なのかもしれない。
*13:例えば、ピンク髪のキャラクターに性的なイメージがついたり、橙髪のキャラクターに情熱的なイメージがついたりすること。
*14:知名度を考慮して、ドナルド・マクドナルドについては特例で語ろうかと思ったが、可愛くないという理由で却下した。別に好きでもないし。
*17:初代は1973~74年放送。戦うヒロインの元祖であり、お色気変身シーンの元祖。
*18:例えばレーサー姿のハリケーンハニーは黒髪、スチュワーデス/CA姿のアイドルハニーは緑髪、など。
*19:2010年発売。
*20:この時はまだ赤髪のキャラクターへの愛が強かったわけではない。赤髪愛に気づくのはその数年後のこと。
*21:とにかくBW2未プレイなのが大きい。プレイしたいとは思っているのだけれど…
*22:2012年発売。
*23:そもそもその名前の由来からして恋愛面で冷遇されることが確定している。
*24:覚醒・ifはアイデンティティが露骨なキャラクターが多かったねって今でもやはり思ってしまう。
*27:不思議なことに、桃髪ツインテールのキャラクターはメイ、セーラ、ヒルダ(風花雪月)、レーヴァテインと4人もいる。この差は何なのだろうか?
*28:もちろん例外もある。FEでは起用するのが難しいアーダンや、モブ敵将なのに妙な人気を誇るグローメル辺りが挙げられるか。ただし両者とも印象的な、唯一の個性を持っている。
*29:CVがアンナさんと一緒なのでいつか来るだろうと思ってもう2~3年経った。
*30:セレナはFEif発売までは赤髪のイメージが薄かったのでここでは除外。
モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記㉑ 帰り路
8日もロシアにいたら日本が恋しくなるんだろうなあ、とか思っていたのは旅の前。旅路ではいつものことではあるものの、日本に帰りたくないという思いが募っていた。とはいえ、不法滞在になるわけでもないのでさっさと帰りましょう。
ちなみに。この日の時点で西欧でCovid-19が大流行し始めていた。欧州の端とは言え、そろそろロシアより日本の方が安全かな、と思っていた。
別れを惜しみながら、サンクトペテルブルクをサプサンに乗って離れるのでした。また来たい。みんなも行こう。直行便ください。
サプサンで今度こそレニングラーツキー駅に到着。アエロエクスプレスの最寄り駅に向かうために地下鉄へと乗り換え。もちろん切符を買おうとしたのですが…券売機がクレジットカードを読んでくれない。もう一回やり直してもエラー、読んでくれない。…まあ、ロシアではこれくらいは日常。2~3回読んでくれないことはまあまあある。焦ってはいけない。落ち着いて全部を取り消して……のはずが、クレジットカードが出てこない。…出てこない。出てこないまま最初のメニューに戻った。…マジで?
流石に想定していない事態にうろたえる私。友人に券売機を任せて片言の英語でなんとかならないかインフォメーションセンターへ駆け込む…片言の英語で話す私、なんか一応伝わってる気はするけど半笑いの駅員、友人の呼ぶ声…。「出てきたで~?」……え?
そしてこの後は何事もなく、無事に切符を買えたのでした。なんだったんだろう。
さて、この日の昼が実質最後のロシアでの食事。最後はロシアらしい食事をするのが王道…だと思うのですが。
空港でお土産を購入し、ルーブルを全て消費し、飛行機へ(早く空港に着きすぎて2時間ほど時間が余った。)。預ける荷物が2kgほど超過したけどお姉さんに見逃してもらったのは内緒。
上る太陽に向かって飛ぶ、シベリアの夜明け。偶然にも窓際の座席を手にしていた私は、明るさに寝られなくなったこともあり、シベリアの風景を見て楽しむのでした。
見覚えのある漢字・ひらがなの世界。なんとなく薫る醤油か大豆のような匂い。ああ、帰ってきてしまったか、と。
今度ロシアに行くとしたら、いつになるだろうか。そもそも行けるのだろうか。日ロ関係は非常に微妙なものであり、正直私には数年後の関係が全く予想できない。クリミア併合、G8離脱等はその数年前に予測されていただろうか。日ロ関係の複雑さに加え、現在Covid-19の関係で海外渡航の見通しが全く立たない。いつになるかは分からないが、再訪できることを願っている。そして、もし再訪する機会があれば、その再訪機会を逃さないようにしたいと思う。もしロシアに行きたいと思い、行く機会ができそうになった方がいれば、是非行って欲しい。ロシア独特の文化を味わってほしい。
日本とロシアは、隣国であるにもかかわらず、心理的にはかなり遠い距離がある。それは、私が帰国後ロシアに旅行してきた話が話題としてかなりの力を持っていることからもよく分かってしまう。もちろん複雑な関係なのは理解しているが、日ロの友好関係が成り立ち、旅行先としてのロシアがもっと一般的なものになると私は嬉しい。私のロシア旅行話が面白くもなんともないものになるくらい、ロシア旅行に行く人が増えてくれればいいな、という思いを記して、この旅行記を終えたいと思う。
モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑳ サンクトペテルブルク4日目③ 最後の夜に
旅の最後には名残惜しさを感じるのがいつものこと…のはずだったのだが。この時の我々はあまりにも疲労が先行していて、名残惜しさを感じる余裕が無かった。今となってはとても惜しい時間だったはずなのだけれど。
ロシア美術館
ちょっと脇道に逸れてしまったが、無事到着することができた、サンクトペテルブルクのもう一つの大美術館。エルミタージュのせいで感覚が麻痺しそうになるが、ここも非常に大きな美術館。
エルミタージュは順路?とでもいうのであろうか、一筆書きで全部屋を回れるような展示になっていなかった一方で、ここロシア美術館はそういった回り方が簡単にできるような展示配置になっていた。そこは大いに評価したい。エルミタージュの中でルートを組むのは本当に大変だったので。*1
エルミタージュもそうなのだが、もっとゆっくり回れる時間があれば良かったのに、と思ってしまう。とはいえ初回の訪問でかつ時間も十分に無い中では、全部屋を回ることを優先してしまう。次回行く機会があれば、その時は一週間ほど滞在して、のんびり回ることができれば良いな、と思った次第。
また、これは私個人の問題であるが、美術史・芸術史に関する知識がほとんどない。これは美術館を巡る上ではかなり致命的だと感じた。国内を含め、次回美術館に行く機会を得たら、その前にある程度の予習をしておくべきだなあ、と今更ながら反省している。知識がない私でも、高名な絵は知らずともなんとなく良い絵な気がする、と思えたので、知識があればもっと楽しめただろうに、と考えてしまう。
さて、この時点で外は夕焼け。サンクトペテルブルク最後の夜。…だからといって特別なことをしたわけではないが。
この日が最後の観光日、あとは帰るだけ。よく帰るまでが遠足とは言うけれど、海外だと本当に帰るまで油断できないので、この日が最後の日という感じではなかったけれど。
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*1:なおエルミタージュ内でルートを組んだのは友人である。感謝。
モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑲ サンクトペテルブルク4日目② 戦争の記録と幻覚
旅行も8日目。毎日のように美術館・博物館を巡り、街を縦横無尽に歩き回っていると、身体はもちろん精神も疲弊してくるわけです。数日前から既に定期的にベンチに座って休養しないと充電が切れる状態になってしました。当然ながら、この日にはその疲労が極大に達していました。そうなってくると、集中力が切れてくるわけで、博物館に入っても展示品をちゃんと見ることが厳しくなっていました。というわけで、終盤の博物館類は記憶が本当に無い。許して。
砲兵博物館に行けなかった失意の我々の次なる目的地は、防護巡洋艦アヴローラ。
防護巡洋艦アヴローラ
防護巡洋艦アヴローラ。その名前は自然現象オーロラの語源である、ローマ神話の暁の女神Auroraのロシア語名に由来する。アヴローラが進水したのは1900年のサンクトペテルブルク。その後、1905年5月27日、ロシア海軍悪夢の日を辛くも生き残り、故郷バルト海へ。その後、第一次大戦を戦い、二月革命を超え、革命軍指揮下となった1917年10月25日(西暦では11月7日)、冬宮突入作戦の合図としてアヴローラの砲は火を噴いたのでした。アヴローラが革命の象徴となったのは言うまでも無く。練習艦となったり、砲を撤去されたり、ドイツ軍の攻撃で着底するなど数奇な艦生を送った末に、今は記念艦としてネヴァ川で静かに揺られている。
今思うと、三笠より通路とかが一回り大きかった印象。体格差ですかねえ。
ちなみにここに入るときに荷物を預けるのだけれど、そのロッカーの鍵の締まりがとにかく悪かった。ちょっと怖かった。
レニングラード防衛博物館
前日は休館日で行けなかった博物館。再挑戦で観覧に成功。
第二次世界大戦で戦場となった場所は数えきることはできないだろうが、その中でも最も凄惨な運命を辿った場所の一つとして、レニングラードが挙げられるのではないだろうか。*1872日間もの包囲戦、その記録の博物館。…ただし、この博物館は本当に英語の解説文すら全くなかった。何もわからん。しかし、その展示の方法が非常に印象的なものであったため、脳裏に焼き付いている。
ところで、Wikipediaのレニングラード防衛戦に掲載されている当時の写真が私の知っているサンクトペテルブルクの風景でなるほど、と思った。
※本記事にはナチスドイツの象徴である鍵十字の写真を掲載していますが、あくまでも展示品を紹介するものであり、そこに政治的意図は一切ございません。
さて、この次の目的地はロシア美術館。宮殿を用いたロシア最大の美術館である。別館も複数あり、非常に見ごたえのある美術館…なのだが、今回は時間の関係で別館を訪れることはできなかった。
チケットを購入して中に入り、足の疲労を抑えるためベンチに座り、周りを見渡すと…
展示品に疑問を感じ、落ち着いて地図を開き、現在地を確認すると…ここはロシア美術館じゃない…!?
言い訳させてもらうと、そもそもロシアの建物はその建物が何であるかを表にあまり提示してくれない。モスクワで予約したホテルを探すのに15分くらい彷徨ったり、パトリオットパークのレストランの入り口を探すのに5分くらい迷ったり、こういった苦労話は枚挙に暇がない。とはいえちゃんと確認しなかった我々の落ち度。
ロシア民族博物館
まあ、入ってしまったものはちゃんと見ましょう、それなりに面白いだろうし、ということで見て回った。結論から言うと英語の解説が無かったのでほぼわからなかった。とはいえ、その国土の広さから来る民族の多様性が展示内容から見て取れたのはかなり面白かった。
解説文が雑なのは本当に解説文が分からなかったのと疲労が限界に近かったせい。まともな判断ができる状況じゃない状態だとまともに展示物を見ることすら不可能だった。
次回は本当にロシア美術館に行きます。もう精神的に限界が来ていたけれど。
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モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑱ サンクトペテルブルク4日目① 旅路の果て
ピョートル大帝、エカチェリーナ2世らの系譜を繋ぎ、長く続いたロシア帝国は、第一次世界大戦とその後の激動で共産主義国家にとって代わることとなった。その流れの中で、皇帝一家は悲惨な終末を迎えることとなり、数十年もの間歴史の闇に葬られたのでした…。
そのせいで、皇女アナスタシアを始めとする、数々の生き残り伝説が世を賑わわせ、ロシア皇族の存在が世に語り継がれ続けるわけなのですが。こういう、自分を騙る人の精神状態ってどうなっているのか。興味深い。…名乗った人の数が多すぎて日本語版のWikipediaのページがあるの、面白い。
サンクトペテルブルク観光最終日。長い旅路の果てに見たものとは。……そんな仰々しいもの言いをするほど移動しては無いですがね。
ペトロパヴロフスク要塞
ネヴァ川右岸に位置する要塞。英語名は"Peter and Paul Fortress"。ネヴァ川を挟んだ向かいにはエルミタージュが。18世紀初頭、サンクトペテルブルクの街を開いた頃に建設された要塞で、当時北欧で存在感を放っていたスウェーデンを仮想敵とした要塞だとか。要塞としては五稜郭のようないわゆる星形要塞(ただし五角星ではない)。英語版のWikipediaの上空写真を見ると一目で星形要塞と分かる。中央の教会は対岸からも非常に目立ち、これまたサンクトペテルブルクの象徴と言える。
Peter and Paul Fortress - Wikipedia
この施設の性質上、この要塞がロシア革命の舞台の一つになった話もあるようだが、詳しくないので省略。ソ連時代中には要塞としての役目を終えたようで、博物館としての展示が始まったそう。要塞自体が広く、かつ要塞自体が多くの機能をもつ建造物であるため、様々な展示を行う博物館。
ところで、ここに入ろうとしたら早すぎて入り口で止められた。15分も開館時間より早く入ろうとする東洋人2人、なかなか奇妙に映っただろうか。
地球の歩き方を参考にチケット売り場まで行くと、この要塞にはなんと日本語の観光マップが!エルミタージュには日本語の本とかも売っていたけれど、まさかこの要塞に日本語マップがあるとは……。というわけで貰ったのだけれど、まともに使える代物ではなかった(現物が手元に無くて写真を見せられないのが惜しい)。機械翻訳?の似非日本語はもちろん、固有名詞がまともに訳せない、極めつけに英語マップと建物の番号が合わない(もちろん正しい番号なのは英語マップ)。チケットに書かれた英語の建物名と整合させる必要があったわけで、当然英語マップを参考にすることに。もしよければ日本語版作りましょうか?と言いたくなるレベルで酷かった。
ペトロハヴロフスキー聖堂
ペトロハヴロフスク要塞の中心に位置する教会。サンクトペテルブルクの建設初期に建てられ、ピョートル大帝以降のロシア皇帝たちが眠る。
遠くシベリアの地でその生を終えたニコライ二世らは、その後80年以上もの月日が経ってから、故郷サンクトペテルブルクに帰ってくることができた。長い旅路の末、ようやく穏やかに時を過ごすことができる場を得た彼らの姿を見て、私はどこかで涙を流しそうになっていた。サンクトペテルブルクで最も印象に残っている場所は、私にとってはここであった。
自分の信じる宗教であろうとなかろうと、宗教的に大きな意味のある場所は何か聖なるもの、とでもいうのだろうか。精神に訴えかけてくるものを感じる。これはロシアを旅する中で様々感じてきたが、その中でも最も重厚に感じたのはここだった。
ここからは要塞内のその他展示。要塞といっても軍事色の強い展示は少なかった。
さて、要塞内の様々な展示を見た我々は、この要塞の向かいにある砲兵博物館へと向かいました。
…が。なんとこの日は休館日。ちゃんと休館の曜日は確認していたのですが、数日前の「祖国防衛の日」の影響でこのあたりだけ休館日がずれていたのでした。そんなのわかるわけが無かった…。失意の我々は、重い足を引きずってまたネヴァ川へと向かうのでした。
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モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑰ サンクトペテルブルク3日目③ 宝物庫とお土産
ロシアに来てから、宝飾品類を展示する博物館をやたら見ていた。もちろん私がこういうのが好き、というのはあるのだけれど、ソ連という時代に芸術品含め、個人の資産を国家が接収して国民に公開した、みたいな歴史があるんだろうか。と、今この文章を書いていてふと思った。事実かどうかは分からないし、私自身日本とロシア以外の博物館を知らないので、かなり荒い推測ですね。
サンクトペテルブルク3日目3記事目、宝飾品を主に展示した博物館から。
ファベルジェ博物館
帝国末期の宝石商・金細工師のファベルジェの名前を冠している…のだけれど、彼とは関係ないらしい。ロシア由来の宝飾品を展示する博物館。ファベルジェはインペリアル・イースターエッグを作成し、皇帝一家に収めた人らしい。美術館の名前通り、ここにはインペリアル・イースターエッグが9つ展示されている。いくつかはソ連時代に売られたなどなどでアメリカにあるとか。
ところで、この博物館は宝飾品を大量に展示しているのに写真を撮っていい、という点がありがたい。クレムリンの武器庫やエルミタージュのダイヤモンドルームは撮れなかったので…。
それでもWikipediaに記事があるのが凄い。イースターエッグほんと人気だなって。
Duchess of Marlborough (Fabergé egg) - Wikipedia
Kelch Chanticleer (Fabergé egg) - Wikipedia
Bay Tree (Fabergé egg) - Wikipedia
Renaissance (Fabergé egg) - Wikipedia
Rosebud (Fabergé egg) - Wikipedia
Cockerel (Fabergé egg) - Wikipedia
Lilies of the Valley (Fabergé egg) - Wikipedia
Imperial Coronation (Fabergé egg) - Wikipedia
6つしかないのは…当日展示されていなかったとかそういうことだと思います、はい。
このあとの夕食はコーカサス料理へ。コーカサス系の料理は確かに美味しいので流行っていい。
ドム・クニギ
ネフスキー大通り沿いにある大型書店。お土産も売ってるし、ロシア語の書籍はもちろん多種多様。せっかくロシアに来たのだし、ロシア語の書籍を日本に持ち帰ってみたい、という欲はやっぱりある。
というわけで、我々が購入した書籍がこちら。
ロシアに来たから、ということで銃の解説本も友人が購入していた。確かに日本では手に入らない。他に、チョコレートやウォッカ等も購入(この日以外)したが、写真が無いので省略。地図帳は非常に面白いので、今後海外旅行先で機会があれば購入していきたいと思った。
さて、次の日が最後のサンクトペテルブルク観光。今思うと3.5日でも足りないですね。
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