2020広島旅行記①
GOTOトラベルキャンペーンを利用して広島に行ってきたことの記録。はよ更新しろ。
出発日は8月10日、広島に旅行に行くのは2年ぶり4回目。ここ数年は何故か広島に旅行した回数がとびぬけて多い。なんでだろうね。
というわけで相変わらずの野球観戦目的旅行。毎度広島に来るたびに何かのユニフォームを買っている*1のだけど、今回は坂倉のユニフォームを購入。そろそろトッププロスペクトの皮を破って大成してほしい、という願いを込めて。*2
さて、この旅行は野球を楽しむのと共に、広島の食を楽しむ旅行でもある。というわけで揚げもみじ。広島以外で食べられる場所あるんですかね。
この後向かったのは広島城。4回目の広島にして初の広島城。むしろ今まで行かなかったのは何故だ。
当たり前の話だが、世の情勢が情勢なだけに広島城も人が閑散としていた*3そしてそこら中に置かれたアルコール消毒。毎回毎回丁寧にやっていて思ったが、店によって濃度が違う気がした。広島にもPARCO*4ってあるんだなあとか、そごうが現役なんだなあとか街中を散歩して色々感慨深くなったり。
そんな感じで時間を潰し、いつしかナイターの時間。今年初の野球観戦*5。
当然ながらCOVID-19のせいで観光がしづらい情勢なので、翌日は適当に市街を散歩すると決めてその日は就寝。路電のある街は歩いていて楽しいよね。
東北一周旅行記⑧ 6日目(仙台・帰途)
東北旅行も最終日。この日はまだ観光していなかった仙台市内を観光。帰りも当然在来線なので、観光する時間はあまり無かったのだけれど。
仙台といえば青葉城。青葉って名前が良い。あまりにも個人的な意見だが。
街のそばに城跡があるのはなかなかに良いと思わされた。それにしてもこの青葉山にキャンパスがあるのはなかなか。地下鉄青葉山駅の出口の景色は地下鉄駅のものではない。(写真無い)
…今思うと。もう少し仙台市内を観光しようと思えばできたのでは、もっと面白い観光ができたのでは、と思う。まあ観光する場所は思いつかないのだけど。
私はそういえばペデストリアンデッキが大好きなのだけど、仙台駅のペデストリアンデッキは素晴らしく雄大なのでとても興奮した。もっとほかにテンション上がるポイントあるだろうと言いたいが。興奮したのなら写真に残せとも言いたい。
よりにもよって上のずんだシェイクを東北最後の食事にして、私は東京へ帰るのでした。ちなみに帰り路に着く少し前、東北本線が1時間ほど止まっていた。危ない。その帰り道の記憶は無い。疲れから熟睡していたはず。
人生初の東北は、ねぶた・竿燈を中心になかなかに貴重な体験ができた一方で、あまりにも広い東北は6日では全く足りないということも理解できた。また、夏場以外の季節を味わいたいという心も生まれた。その心に反して、これ以来福島以外の東北を訪問することはできていないのだが。
一人旅の魅力に魅せられた旅でもあった。この後、私は更に一人旅へと傾倒していくことになる。そして人生の孤独を深めていく
今になって振り返ると、なかなかに良い旅だったと思える。が、今の体力ではこの旅ができないだろうと悲しくもなる。まあ、この6日間は一生に一度の経験だったと思うことにしよう。
ちなみにこの次の日の私は、横須賀の米軍基地でゲータレードを飲んで吐きそうになっていた。何してんだ。
東北一周旅行記⑦ 5日目(宮城球場)
もう既に体力が枯渇している5日目。もはや観光を諦めつつあるので写真が少ない。そして山形は観光する場所が思いつかなかったのもあって本当に何もしていない。またの機会があれば、優先して行くべきなのでは。
朝の大曲はどこか寂しげ。閑散とした駅前はやはり寂しいものがあった。
そしてこの日も奥羽本線に乗って南下。途中下車する元気も無く、山形県へ。
更に奥羽本線を南下して天童へ。いやそれにしても車窓の記憶すらない。
なんか駅前にあった将棋に関する博物館を見たような記憶がある、が、展示内容に関する記憶はあんまり無い。色々な駒が展示されていたのは覚えている。
そして山形駅を経由して仙台へ戻る。山形市内では本当に何もしなかった。山形県に申し訳ないと思わないのか。そしてこれで本当に山形県を訪問したと言ってしまっていいのか。
この日の目的地は仙台市、宮城球場。今の名前は楽天生命パーク宮城、当時はkoboパーク宮城。名前ころころ変わり過ぎ。
宮城球場は仙台駅からJR仙石線で2駅、そこから7~8分歩いたところにある。12球団本拠地の中でもこれはかなりの好立地。
さて、仙台にやってきて観戦するカードは…オリックスvs楽天。この年最終的に5位になるチームと6位になるチームのカード。……もう少し、好カードを見に行くことはできなかったのだろうか。ねぶたや竿燈を基準に旅程を決めたのでどうしようも無かったのだが。
この日、私にしてはめずらしく隣に座った夫妻とのんびりおしゃべりしていた。当然楽天ファンの方だったのだが、05年の頃から随分変わったと話していたような記憶がある。東北の人は穏やかで優しいとも言っていたような。甲子園や大阪ドームであるような野次は少なくとも飛んでいなかったし、確かにかなり牧歌的な雰囲気の球場だった。東北はそういう雰囲気なんだろうか。
野球場は座っているだけで楽しめていいなあ、という感じだっただろうか。体力がほとんどなくても楽しめるからスポーツ観戦はいい。
そして精神がボロボロながら、なんとかカプセルホテルにたどり着き、最後の日を迎えるのでしたとさ。それにしてもこの日野球観戦以外なにしたか全く記憶が無いな。
東北一周旅行記⑥ 4日目(弘前・秋田)
思いつきで始まった旅も4日目。よりにもよってこの体力が無い日にカプセルホテルに泊まったせいで、身体のあらゆる部分が重く感じていた。もうそろそろ限界らしい。それでも弘前を観光しないわけにはいかない。そんな義務感に支配された4日目前半。
弘前には現存十二天守の一つ、弘前城がある。正直そこまで城に強い興味があるわけじゃないが、せっかくだし…ということで観光することに。
ちなみに現地に着くまでリゾートしらかみのことはすっかり忘れていた。チケットとっておけばよかったのに…と今でも思う。気づいた頃には満席だった。
現存12天守の一つ…ではあるのだけれど、如何せん小さいので天守自体の観光はすぐ終わってしまった。もう少し日本史や建築に関する教養が欲しい。天守以外の公園の雰囲気はかなり良かった。桜の時期は更に良いらしいが…その時期に旅をするのが難しい。
こんな感じで終わらせるのは勿体無いのだが、何分写真が無い上に私の記憶も曖昧。本当に体調が崩れていたんだなあと今になって思う。旅行中の体調管理には気をつけよう。
この日はここから奥羽本線で南下して秋田へ。弘前はアクセスが悪いがなかなかいい街だった。そしてこの区間も相変わらず全く記憶にない。車窓を見ていたような記憶はあるのだが。
なんで秋田駅前に西武があるんだ…?などと考えながら市街へふらふら。そういえばここの西武縮小するらしいですね。
夕暮れは祭の合図。市の中心部で祭ができるのって凄いね(2日連続2回目)。この日は祭初日。
そんな感じで2時間くらいのんびり見て回っていた。ねぶたとはまた違う、人の技を競う雰囲気はまた良いものだった。かなり好き。じゃあ現地に何かお金を落としなさい、当時の私。
で、この日も秋田市内では宿が取れなかったのでまた移動。この日の宿は大曲。大曲の花火競技大会も行きたいなあ。
東北一周旅行記⑤ 3日目②(青森)
宮古駅を出たのが8時。岩泉小本駅に戻ってきたのが11時過ぎ。宮古~岩泉小本、岩泉小本~龍泉洞がそれぞれ30分くらいかかるのでこの日はここまでかなり駆け足の観光。ここからはゆったりのんびり列車旅。
岩泉小本→久慈はまだ三陸鉄道。のんびりゆったり海岸沿いを進む。
久慈からは取り残されたJR在来線の八戸線、八戸からは日本鉄道の夢の跡、青い森鉄道に乗って進む…が、前日までの行程で私の体力は既に限界だったよう。この区間のほぼすべての行路で爆睡していた。八戸線の海岸沿いの景色と、野辺地を過ぎてどこかの温泉の駅で人が載ってきた以外に何も記憶が無い*1。
そして寝ている間に辿り着いていた青森駅。ちょっと感動が薄い。
電車の中で寝ていただけなのだが、まあろくに食事をとっていなかったのでここで昼兼夕食。青森と言えば?そう、アレ。
味の感想。味噌とカレーと牛乳の味が全部するけど何故か意外とバランスがいい。美味しいのかはよく分からんが確かに謎の調和を感じた。癖になる人がいるのも確かに、とは思った。しかし何故このメニューが完成してしまったのか、わからない。カレーの万能性なんだろうか。
で、この後青森駅の周りをふらふら散策して本州の果てを実感する。…するのだが、身体が重い。とても重い。緯度が高いせいで地球の時点に由来する遠心力が弱くて重力が相対的に強くなっているせいだと思いたい。そうだと言ってくれ。そんな心だった。
しかし身体は限界だった。市内の公園のベンチに横になり、1時間ほど動けなかった。見知らぬ地の公園で横になる私はどういう目で見られていたんだろう…。
そうして気づいた頃には夕暮れの足音。屋外とはいえ、流石に1時間もぐったりすると体力も戻ってくるらしい。なんとか起き出して、市街大通りへ。いつの間にか祭の時間が近づいていた。そう、この日は2017年ねぶた祭、初日だったのだ。
市内の大通りを歩むねぶた達。彼らは周回しているので、逆向きに回ることで様々なねぶたを見ることができる。屋台もいっぱい出ていた。食べなかったけど。
まあよくわからんデザインのねぶた(そもそもねぶたなのか…?)はそこそこに、王道のねぶたを見て非常に楽しんでいた。実際に見るとそれはそれは良いものでした。
そんなこんなでふらふら歩いて2時間ほど楽しんだ私。街の中心街に人が集まる雰囲気、そしてねぶたの勇壮さが非常に良かった。そういえばお祭りで一円も使ってないのを今思い出してなんか申し訳なくなってきた。
で、この日はねぶたのせいで青森市内の宿が取れなかった。そのため、祭の余韻残る中弘前へ移動。夜、車窓の見えない旅は正直面白くないから好きじゃない。
夜の弘前、駅から1.5kmほど先の宿へ移動。…の中で弘前ねぷたの帰り道に遭遇。青森の方に行ってしまったことを思うとなにか申し訳ない気分になった。
そんな感じで3日目終了。わざわざ私が言うまでもなく、いいお祭りだった。そんな余韻も感じつつ、宿で東京から相当遠くまで来てしまった事実を噛み締め、本当に帰れるのかなあとか考えていたのでした。弘前だと新幹線で帰ることもできないし。
東北一周旅行記④ 3日目①(岩泉)
これは旅行の計画を立てているとき。
私「東北行くんつもりなんだけどいい観光地無いかね?」
友人「あー、龍泉洞とか行けば?」
私「面白そうだけど、これどこ…?」
と言うあまりにも適当な感じで行くことになった岩泉町。本州で一番大きい町らしい。もしこれが無ければそのまま旧東北本線を上がって八戸辺りで途中下車してたのかなあ。三陸鉄道は北海道東日本パスの対象外なのでそこだけ課金。
のんびり岩泉小本駅へ。駅の周りは…記憶が全くない程度にはほとんどなにも無かった。たぶん。
内陸へ向かうバスに乗って龍泉洞に向かう…と思ったところ、小銭が無い。5000円札しかなくて両替もできない。ということで、駅の売店でハイチュウ(グリーンアップル味)を購入。とてもありがたかったけれど、たぶんもう一度ここの売店を利用することは無さそう。
日本三大鍾乳洞は、ここ岩手県の龍泉洞、山口県の秋芳洞、高知県の龍河洞を指すらしい。一応秋芳洞は行ったことがあるので残りは龍河洞。
龍泉洞は名前の通り、溢れんばかりに湧き出る水が売りの鍾乳洞。入口近くには水を飲める場所があった。味は覚えていない、つまり記憶に残らない程度の味。洞窟は夏場でも涼しいが、確かこの時は上着とか着ずに入った。そんなに寒くはなかった。
ちなみに、溢れんばかりの水と言ったが、私の訪問1か月後、台風10号*1の影響で本当に洞窟から水があふれた。半年くらい復旧に時間がかかったそう。また行きたい。
鍾乳石の形を楽しむなら秋芳洞の方が向いている。こちらは照明が醸し出す雰囲気を楽しむ感じ。あと水を見る場所。水は本当に綺麗。
そんな感じでのんびり観光していた。アクセスがかなり悪くて近くに他の観光地も少ないが、楽しい観光地だった。ちなみに盛岡からバスが出ているらしいのでそっちに乗った方がたぶんいい。これ以来鍾乳洞に行ってないので、久々に行きたい…と思ったが、そういえば火山性の洞窟に行ってたことを思い出したのでまあ暫くはいいかな。
ここから北上して青森を目指すのだけど、まあ途中の記憶がほとんどない。前日の熱中症と初の一人長期旅で既に精神的にも肉体的にも厳しかったのだろうなあ、とは思う。体力ないのによくこんな日程で行こうと思ったな。
東北一周旅行記③ 2日目②(角館)
さて、盛岡から西、秋田県仙北市角館へ。盛岡~角館*1は一応秋田新幹線が走っているが、北海道・東日本パスでは当然乗れないわけで。同じ線路を走る在来線(田沢湖線)に乗って角館へ。途中の区間は1日5本しか在来線が無い。そのせいもあり、角館滞在時間は1時間半。よくこんな日程で行こうと思ったな、私。
何本もの新幹線に追い越されながら、初めての秋田入り。
駅から1kmほど歩いた場所が上の写真。雰囲気が良いし、観光する場所(ほぼ武家屋敷)もまとまっていて時間の無い私にも優しい。でも熱中症でふらふらになった人間がそんなに急いで観光するな。
なかなかに雰囲気の良い町で楽しかった。次回来る時があれば別の季節にしたいところ。あと新幹線使いたい。もう一日5本の電車の合間を縫うのはいやじゃ。
角館は雰囲気のいい町だったが、だからこそもっと長く滞在したかったと思ってしまう。こんな日程組んだ奴誰だ?
で、もう一度1日5本しかない奥羽山脈を抜ける電車に乗り、盛岡へ戻る。
ところで、この日は昼食の写真が無かったのだけれど。たぶんコンビニのおにぎりとかで済ませたのかなあ。
盛岡に戻ったころには日も暮れつつあり。夕食時。たぶん盛岡駅 グルメで検索して最初の方に出てきた店に行ったとかそんな感じだったと思う。
ここから更に宮古へ行くのだが、この当時盛岡~宮古のJR線は災害で不通。というわけで代行バスとして指定されている106急行バスへ乗車。正直106急行バスの方が本数も多いし便利なんですけど?線路が復旧した今ではもうこの手を使って北海道・東日本パスでこのバスに乗ることはかなわないらしい。現在盛岡→宮古は1日5本だそう。またか。
この日は2か所の観光で疲れが貯まっていたのか、106急行バスでの記憶はほとんどない。起きていても夜の北上高地で車窓は期待できなかっただろうけれど。
バスの中で寝ている間に携帯を落としたせいで運転手さんに探してもらうとかそういうどうでもいいイベントはあったけれど、無事宮古に着き、この旅で一番宿泊代が高くついたホテルへ。熱中症の怖さを教訓として、ぐっすり寝るのでした。翌日の三陸鉄道の乗る列車が遅めだったので、この日はわりとちゃんと寝られたはず。
*1:一応大曲まで行くけど今回はこの先に乗らないので無関係