拍米日記

孤高でありたい

モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑲ サンクトペテルブルク4日目② 戦争の記録と幻覚

 旅行も8日目。毎日のように美術館・博物館を巡り、街を縦横無尽に歩き回っていると、身体はもちろん精神も疲弊してくるわけです。数日前から既に定期的にベンチに座って休養しないと充電が切れる状態になってしました。当然ながら、この日にはその疲労が極大に達していました。そうなってくると、集中力が切れてくるわけで、博物館に入っても展示品をちゃんと見ることが厳しくなっていました。というわけで、終盤の博物館類は記憶が本当に無い。許して。

 

 砲兵博物館に行けなかった失意の我々の次なる目的地は、防護巡洋艦アヴローラ。

 

防護巡洋艦アヴローラ

 防護巡洋艦アヴローラ。その名前は自然現象オーロラの語源である、ローマ神話暁の女神Auroraのロシア語名に由来する。アヴローラが進水したのは1900年のサンクトペテルブルク。その後、1905年5月27日、ロシア海軍悪夢の日を辛くも生き残り、故郷バルト海へ。その後、第一次大戦を戦い、二月革命を超え、革命軍指揮下となった1917年10月25日(西暦では11月7日)、冬宮突入作戦の合図としてアヴローラの砲は火を噴いたのでした。アヴローラが革命の象徴となったのは言うまでも無く。練習艦となったり、砲を撤去されたり、ドイツ軍の攻撃で着底するなど数奇な艦生を送った末に、今は記念艦としてネヴァ川で静かに揺られている。

 

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アヴローラ遠景。街中に軍艦が突然現れるので少し驚く。

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この時期の軍艦は本当によく煙突が目立つ。

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アヴローラ内。ロシア人向けに作られているとはいえやはり狭い。

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見上げる。

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ロシア海軍の旗。
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この日はネヴァ川も穏やかだった。

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甲板。

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ここからは船内展示。戦闘中の絵。

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やっぱりちゃんとこういう場所には模型がある。

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航路図。遠路はるばるお疲れ様としか言いようがない。

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見覚えのある模型だなあ

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見覚えのある顔だなあ

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そっち目線の絵も展示するのか…


 今思うと、三笠より通路とかが一回り大きかった印象。体格差ですかねえ。

 ちなみにここに入るときに荷物を預けるのだけれど、そのロッカーの鍵の締まりがとにかく悪かった。ちょっと怖かった。

 

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対岸から。遠くから見るとかわいい。
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ネヴァ川との別れ。また会いたい。

 

レニングラード防衛博物館 

  前日は休館日で行けなかった博物館。再挑戦で観覧に成功。

 第二次世界大戦で戦場となった場所は数えきることはできないだろうが、その中でも最も凄惨な運命を辿った場所の一つとして、レニングラードが挙げられるのではないだろうか。*1872日間もの包囲戦、その記録の博物館。…ただし、この博物館は本当に英語の解説文すら全くなかった。何もわからん。しかし、その展示の方法が非常に印象的なものであったため、脳裏に焼き付いている。

 ところで、Wikipediaレニングラード防衛戦に掲載されている当時の写真が私の知っているサンクトペテルブルクの風景でなるほど、と思った。

 レニングラード包囲戦 - Wikipedia

 

※本記事にはナチスドイツの象徴である鍵十字の写真を掲載していますが、あくまでも展示品を紹介するものであり、そこに政治的意図は一切ございません。

 

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入口からこれ。印象に嫌でも残る。

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錆びた砲とあの旗と。

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その上にはあの英雄。入口の印象が強すぎて展示の印象が薄いレベル。

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こうやって印象に残る展示を考えつく人は凄い。

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展示はこんな感じ。本当に物資が少なかった時代。

 

 

  さて、この次の目的地はロシア美術館。宮殿を用いたロシア最大の美術館である。別館も複数あり、非常に見ごたえのある美術館…なのだが、今回は時間の関係で別館を訪れることはできなかった。

  チケットを購入して中に入り、足の疲労を抑えるためベンチに座り、周りを見渡すと…

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ちょっと待てよ、これ本当に美術館の展示か?

 

 展示品に疑問を感じ、落ち着いて地図を開き、現在地を確認すると…ここはロシア美術館じゃない…!?

 

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中央のロシア美術館にいるはずが下の民俗博物館にいた。

 

 言い訳させてもらうと、そもそもロシアの建物はその建物が何であるかを表にあまり提示してくれない。モスクワで予約したホテルを探すのに15分くらい彷徨ったり、パトリオットパークのレストランの入り口を探すのに5分くらい迷ったり、こういった苦労話は枚挙に暇がない。とはいえちゃんと確認しなかった我々の落ち度。

 

ロシア民族博物館

  まあ、入ってしまったものはちゃんと見ましょう、それなりに面白いだろうし、ということで見て回った。結論から言うと英語の解説が無かったのでほぼわからなかった。とはいえ、その国土の広さから来る民族の多様性が展示内容から見て取れたのはかなり面白かった。

 

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そりはロシアの(ry
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様々な民族衣装。多様性が凄い。
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布類と街並み。色々と面白い。

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実りの季節。

 

 解説文が雑なのは本当に解説文が分からなかったのと疲労が限界に近かったせい。まともな判断ができる状況じゃない状態だとまともに展示物を見ることすら不可能だった。

 次回は本当にロシア美術館に行きます。もう精神的に限界が来ていたけれど。

 

 

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*1:もちろん、スターリングラードワルシャワ等他の場所を無視しているわけではない。