モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記㉑ 帰り路
8日もロシアにいたら日本が恋しくなるんだろうなあ、とか思っていたのは旅の前。旅路ではいつものことではあるものの、日本に帰りたくないという思いが募っていた。とはいえ、不法滞在になるわけでもないのでさっさと帰りましょう。
ちなみに。この日の時点で西欧でCovid-19が大流行し始めていた。欧州の端とは言え、そろそろロシアより日本の方が安全かな、と思っていた。
別れを惜しみながら、サンクトペテルブルクをサプサンに乗って離れるのでした。また来たい。みんなも行こう。直行便ください。
サプサンで今度こそレニングラーツキー駅に到着。アエロエクスプレスの最寄り駅に向かうために地下鉄へと乗り換え。もちろん切符を買おうとしたのですが…券売機がクレジットカードを読んでくれない。もう一回やり直してもエラー、読んでくれない。…まあ、ロシアではこれくらいは日常。2~3回読んでくれないことはまあまあある。焦ってはいけない。落ち着いて全部を取り消して……のはずが、クレジットカードが出てこない。…出てこない。出てこないまま最初のメニューに戻った。…マジで?
流石に想定していない事態にうろたえる私。友人に券売機を任せて片言の英語でなんとかならないかインフォメーションセンターへ駆け込む…片言の英語で話す私、なんか一応伝わってる気はするけど半笑いの駅員、友人の呼ぶ声…。「出てきたで~?」……え?
そしてこの後は何事もなく、無事に切符を買えたのでした。なんだったんだろう。
さて、この日の昼が実質最後のロシアでの食事。最後はロシアらしい食事をするのが王道…だと思うのですが。
空港でお土産を購入し、ルーブルを全て消費し、飛行機へ(早く空港に着きすぎて2時間ほど時間が余った。)。預ける荷物が2kgほど超過したけどお姉さんに見逃してもらったのは内緒。
上る太陽に向かって飛ぶ、シベリアの夜明け。偶然にも窓際の座席を手にしていた私は、明るさに寝られなくなったこともあり、シベリアの風景を見て楽しむのでした。
見覚えのある漢字・ひらがなの世界。なんとなく薫る醤油か大豆のような匂い。ああ、帰ってきてしまったか、と。
今度ロシアに行くとしたら、いつになるだろうか。そもそも行けるのだろうか。日ロ関係は非常に微妙なものであり、正直私には数年後の関係が全く予想できない。クリミア併合、G8離脱等はその数年前に予測されていただろうか。日ロ関係の複雑さに加え、現在Covid-19の関係で海外渡航の見通しが全く立たない。いつになるかは分からないが、再訪できることを願っている。そして、もし再訪する機会があれば、その再訪機会を逃さないようにしたいと思う。もしロシアに行きたいと思い、行く機会ができそうになった方がいれば、是非行って欲しい。ロシア独特の文化を味わってほしい。
日本とロシアは、隣国であるにもかかわらず、心理的にはかなり遠い距離がある。それは、私が帰国後ロシアに旅行してきた話が話題としてかなりの力を持っていることからもよく分かってしまう。もちろん複雑な関係なのは理解しているが、日ロの友好関係が成り立ち、旅行先としてのロシアがもっと一般的なものになると私は嬉しい。私のロシア旅行話が面白くもなんともないものになるくらい、ロシア旅行に行く人が増えてくれればいいな、という思いを記して、この旅行記を終えたいと思う。
モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑳ サンクトペテルブルク4日目③ 最後の夜に
旅の最後には名残惜しさを感じるのがいつものこと…のはずだったのだが。この時の我々はあまりにも疲労が先行していて、名残惜しさを感じる余裕が無かった。今となってはとても惜しい時間だったはずなのだけれど。
ロシア美術館
ちょっと脇道に逸れてしまったが、無事到着することができた、サンクトペテルブルクのもう一つの大美術館。エルミタージュのせいで感覚が麻痺しそうになるが、ここも非常に大きな美術館。
エルミタージュは順路?とでもいうのであろうか、一筆書きで全部屋を回れるような展示になっていなかった一方で、ここロシア美術館はそういった回り方が簡単にできるような展示配置になっていた。そこは大いに評価したい。エルミタージュの中でルートを組むのは本当に大変だったので。*1
エルミタージュもそうなのだが、もっとゆっくり回れる時間があれば良かったのに、と思ってしまう。とはいえ初回の訪問でかつ時間も十分に無い中では、全部屋を回ることを優先してしまう。次回行く機会があれば、その時は一週間ほど滞在して、のんびり回ることができれば良いな、と思った次第。
また、これは私個人の問題であるが、美術史・芸術史に関する知識がほとんどない。これは美術館を巡る上ではかなり致命的だと感じた。国内を含め、次回美術館に行く機会を得たら、その前にある程度の予習をしておくべきだなあ、と今更ながら反省している。知識がない私でも、高名な絵は知らずともなんとなく良い絵な気がする、と思えたので、知識があればもっと楽しめただろうに、と考えてしまう。
さて、この時点で外は夕焼け。サンクトペテルブルク最後の夜。…だからといって特別なことをしたわけではないが。
この日が最後の観光日、あとは帰るだけ。よく帰るまでが遠足とは言うけれど、海外だと本当に帰るまで油断できないので、この日が最後の日という感じではなかったけれど。
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*1:なおエルミタージュ内でルートを組んだのは友人である。感謝。
モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑲ サンクトペテルブルク4日目② 戦争の記録と幻覚
旅行も8日目。毎日のように美術館・博物館を巡り、街を縦横無尽に歩き回っていると、身体はもちろん精神も疲弊してくるわけです。数日前から既に定期的にベンチに座って休養しないと充電が切れる状態になってしました。当然ながら、この日にはその疲労が極大に達していました。そうなってくると、集中力が切れてくるわけで、博物館に入っても展示品をちゃんと見ることが厳しくなっていました。というわけで、終盤の博物館類は記憶が本当に無い。許して。
砲兵博物館に行けなかった失意の我々の次なる目的地は、防護巡洋艦アヴローラ。
防護巡洋艦アヴローラ
防護巡洋艦アヴローラ。その名前は自然現象オーロラの語源である、ローマ神話の暁の女神Auroraのロシア語名に由来する。アヴローラが進水したのは1900年のサンクトペテルブルク。その後、1905年5月27日、ロシア海軍悪夢の日を辛くも生き残り、故郷バルト海へ。その後、第一次大戦を戦い、二月革命を超え、革命軍指揮下となった1917年10月25日(西暦では11月7日)、冬宮突入作戦の合図としてアヴローラの砲は火を噴いたのでした。アヴローラが革命の象徴となったのは言うまでも無く。練習艦となったり、砲を撤去されたり、ドイツ軍の攻撃で着底するなど数奇な艦生を送った末に、今は記念艦としてネヴァ川で静かに揺られている。
今思うと、三笠より通路とかが一回り大きかった印象。体格差ですかねえ。
ちなみにここに入るときに荷物を預けるのだけれど、そのロッカーの鍵の締まりがとにかく悪かった。ちょっと怖かった。
レニングラード防衛博物館
前日は休館日で行けなかった博物館。再挑戦で観覧に成功。
第二次世界大戦で戦場となった場所は数えきることはできないだろうが、その中でも最も凄惨な運命を辿った場所の一つとして、レニングラードが挙げられるのではないだろうか。*1872日間もの包囲戦、その記録の博物館。…ただし、この博物館は本当に英語の解説文すら全くなかった。何もわからん。しかし、その展示の方法が非常に印象的なものであったため、脳裏に焼き付いている。
ところで、Wikipediaのレニングラード防衛戦に掲載されている当時の写真が私の知っているサンクトペテルブルクの風景でなるほど、と思った。
※本記事にはナチスドイツの象徴である鍵十字の写真を掲載していますが、あくまでも展示品を紹介するものであり、そこに政治的意図は一切ございません。
さて、この次の目的地はロシア美術館。宮殿を用いたロシア最大の美術館である。別館も複数あり、非常に見ごたえのある美術館…なのだが、今回は時間の関係で別館を訪れることはできなかった。
チケットを購入して中に入り、足の疲労を抑えるためベンチに座り、周りを見渡すと…
展示品に疑問を感じ、落ち着いて地図を開き、現在地を確認すると…ここはロシア美術館じゃない…!?
言い訳させてもらうと、そもそもロシアの建物はその建物が何であるかを表にあまり提示してくれない。モスクワで予約したホテルを探すのに15分くらい彷徨ったり、パトリオットパークのレストランの入り口を探すのに5分くらい迷ったり、こういった苦労話は枚挙に暇がない。とはいえちゃんと確認しなかった我々の落ち度。
ロシア民族博物館
まあ、入ってしまったものはちゃんと見ましょう、それなりに面白いだろうし、ということで見て回った。結論から言うと英語の解説が無かったのでほぼわからなかった。とはいえ、その国土の広さから来る民族の多様性が展示内容から見て取れたのはかなり面白かった。
解説文が雑なのは本当に解説文が分からなかったのと疲労が限界に近かったせい。まともな判断ができる状況じゃない状態だとまともに展示物を見ることすら不可能だった。
次回は本当にロシア美術館に行きます。もう精神的に限界が来ていたけれど。
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モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑱ サンクトペテルブルク4日目① 旅路の果て
ピョートル大帝、エカチェリーナ2世らの系譜を繋ぎ、長く続いたロシア帝国は、第一次世界大戦とその後の激動で共産主義国家にとって代わることとなった。その流れの中で、皇帝一家は悲惨な終末を迎えることとなり、数十年もの間歴史の闇に葬られたのでした…。
そのせいで、皇女アナスタシアを始めとする、数々の生き残り伝説が世を賑わわせ、ロシア皇族の存在が世に語り継がれ続けるわけなのですが。こういう、自分を騙る人の精神状態ってどうなっているのか。興味深い。…名乗った人の数が多すぎて日本語版のWikipediaのページがあるの、面白い。
サンクトペテルブルク観光最終日。長い旅路の果てに見たものとは。……そんな仰々しいもの言いをするほど移動しては無いですがね。
ペトロパヴロフスク要塞
ネヴァ川右岸に位置する要塞。英語名は"Peter and Paul Fortress"。ネヴァ川を挟んだ向かいにはエルミタージュが。18世紀初頭、サンクトペテルブルクの街を開いた頃に建設された要塞で、当時北欧で存在感を放っていたスウェーデンを仮想敵とした要塞だとか。要塞としては五稜郭のようないわゆる星形要塞(ただし五角星ではない)。英語版のWikipediaの上空写真を見ると一目で星形要塞と分かる。中央の教会は対岸からも非常に目立ち、これまたサンクトペテルブルクの象徴と言える。
Peter and Paul Fortress - Wikipedia
この施設の性質上、この要塞がロシア革命の舞台の一つになった話もあるようだが、詳しくないので省略。ソ連時代中には要塞としての役目を終えたようで、博物館としての展示が始まったそう。要塞自体が広く、かつ要塞自体が多くの機能をもつ建造物であるため、様々な展示を行う博物館。
ところで、ここに入ろうとしたら早すぎて入り口で止められた。15分も開館時間より早く入ろうとする東洋人2人、なかなか奇妙に映っただろうか。
地球の歩き方を参考にチケット売り場まで行くと、この要塞にはなんと日本語の観光マップが!エルミタージュには日本語の本とかも売っていたけれど、まさかこの要塞に日本語マップがあるとは……。というわけで貰ったのだけれど、まともに使える代物ではなかった(現物が手元に無くて写真を見せられないのが惜しい)。機械翻訳?の似非日本語はもちろん、固有名詞がまともに訳せない、極めつけに英語マップと建物の番号が合わない(もちろん正しい番号なのは英語マップ)。チケットに書かれた英語の建物名と整合させる必要があったわけで、当然英語マップを参考にすることに。もしよければ日本語版作りましょうか?と言いたくなるレベルで酷かった。
ペトロハヴロフスキー聖堂
ペトロハヴロフスク要塞の中心に位置する教会。サンクトペテルブルクの建設初期に建てられ、ピョートル大帝以降のロシア皇帝たちが眠る。
遠くシベリアの地でその生を終えたニコライ二世らは、その後80年以上もの月日が経ってから、故郷サンクトペテルブルクに帰ってくることができた。長い旅路の末、ようやく穏やかに時を過ごすことができる場を得た彼らの姿を見て、私はどこかで涙を流しそうになっていた。サンクトペテルブルクで最も印象に残っている場所は、私にとってはここであった。
自分の信じる宗教であろうとなかろうと、宗教的に大きな意味のある場所は何か聖なるもの、とでもいうのだろうか。精神に訴えかけてくるものを感じる。これはロシアを旅する中で様々感じてきたが、その中でも最も重厚に感じたのはここだった。
ここからは要塞内のその他展示。要塞といっても軍事色の強い展示は少なかった。
さて、要塞内の様々な展示を見た我々は、この要塞の向かいにある砲兵博物館へと向かいました。
…が。なんとこの日は休館日。ちゃんと休館の曜日は確認していたのですが、数日前の「祖国防衛の日」の影響でこのあたりだけ休館日がずれていたのでした。そんなのわかるわけが無かった…。失意の我々は、重い足を引きずってまたネヴァ川へと向かうのでした。
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モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑰ サンクトペテルブルク3日目③ 宝物庫とお土産
ロシアに来てから、宝飾品類を展示する博物館をやたら見ていた。もちろん私がこういうのが好き、というのはあるのだけれど、ソ連という時代に芸術品含め、個人の資産を国家が接収して国民に公開した、みたいな歴史があるんだろうか。と、今この文章を書いていてふと思った。事実かどうかは分からないし、私自身日本とロシア以外の博物館を知らないので、かなり荒い推測ですね。
サンクトペテルブルク3日目3記事目、宝飾品を主に展示した博物館から。
ファベルジェ博物館
帝国末期の宝石商・金細工師のファベルジェの名前を冠している…のだけれど、彼とは関係ないらしい。ロシア由来の宝飾品を展示する博物館。ファベルジェはインペリアル・イースターエッグを作成し、皇帝一家に収めた人らしい。美術館の名前通り、ここにはインペリアル・イースターエッグが9つ展示されている。いくつかはソ連時代に売られたなどなどでアメリカにあるとか。
ところで、この博物館は宝飾品を大量に展示しているのに写真を撮っていい、という点がありがたい。クレムリンの武器庫やエルミタージュのダイヤモンドルームは撮れなかったので…。
それでもWikipediaに記事があるのが凄い。イースターエッグほんと人気だなって。
Duchess of Marlborough (Fabergé egg) - Wikipedia
Kelch Chanticleer (Fabergé egg) - Wikipedia
Bay Tree (Fabergé egg) - Wikipedia
Renaissance (Fabergé egg) - Wikipedia
Rosebud (Fabergé egg) - Wikipedia
Cockerel (Fabergé egg) - Wikipedia
Lilies of the Valley (Fabergé egg) - Wikipedia
Imperial Coronation (Fabergé egg) - Wikipedia
6つしかないのは…当日展示されていなかったとかそういうことだと思います、はい。
このあとの夕食はコーカサス料理へ。コーカサス系の料理は確かに美味しいので流行っていい。
ドム・クニギ
ネフスキー大通り沿いにある大型書店。お土産も売ってるし、ロシア語の書籍はもちろん多種多様。せっかくロシアに来たのだし、ロシア語の書籍を日本に持ち帰ってみたい、という欲はやっぱりある。
というわけで、我々が購入した書籍がこちら。
ロシアに来たから、ということで銃の解説本も友人が購入していた。確かに日本では手に入らない。他に、チョコレートやウォッカ等も購入(この日以外)したが、写真が無いので省略。地図帳は非常に面白いので、今後海外旅行先で機会があれば購入していきたいと思った。
さて、次の日が最後のサンクトペテルブルク観光。今思うと3.5日でも足りないですね。
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モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑯ サンクトペテルブルク3日目② vsエルミタージュ新館
サンクトペテルブルク滞在も3日目になると、この街の美しさに心を奪われたのか、「帰りたくない」、「住みたい」、「寒さすら愛おしい」と連呼するようになった。精神状態がかなり狂ってきていることがわかるエピソード。そういえば、サンクトペテルブルクではほとんど交通機関を使わずに、徒歩とYandex Taxiのみを使って動いていたせいで、モスクワよりも体力の消耗が激しかったのかもしれない。
2日連続のエルミタージュ、本日は新館編。といっても、疲労のせいでかなりの部分の記憶が無い。
エルミタージュ新館
古く、帝国時代からある本館とは違い、こちらは2014年に新たに開館したかなり新しい美術館。といっても、政庁を再利用したものだそうなので、建物自体は落ち着いてはいるものの重厚さもある。知名度の差なのか、本館ほどの混雑は無い。収蔵品は近現代美術が多め。
新館の方は、新しい美術館なせいか、展示品が無い部屋、解放されていない部屋も多く、3時間程度で全ての部屋を回ることができた。本館がおかしいだけで、こちらも十分広いのだけど。人が少ないわりに展示品は十二分に面白いので、こちらも欠かさず行っておきたいところ。
さて、この後の目的地はレニングラード防衛戦博物館…だったのですが。休館日とぶつかってしまったために翌日に回すことに。
次の記事になるが、新たに設定した目的地はファベルジェ博物館。それにしても美術館/博物館ばっかり巡ってるな。
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モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑮ サンクトペテルブルク3日目① ネヴァ川を越えて
St.Petersburgで検索すると、フロリダ州のセントピーターズバーグが出てきたり出てこなかったりする。ここの名前はサンクトペテルブルク出身者が都市に名前を付けたかららしい。アメリカの植民都市によくあるパターン。サンクトペテルブルクとは似ても似つかない気候なのだけれど…?
セントピーターズバーグはタンパベイの名を冠するチームの本拠地。NFL、MLB、NHLのチームがある…NBAだけ無いってのはそれなりに珍しい気がする。と思って調べたら、NBAだけ無い都市はあとピッツバーグだけらしい。レイズの観客動員の酷さを見ると他のチームも観客動員厳しいんだろうなあ、と思って調べたらNHLのタンパベイ・ライトニングは観客動員全体5位らしい(2019-2020シーズン)。何故…?
ところで、ここまで書いたところで気づいた。この話、サンクトペテルブルクと何の関係も無いね。サンクトペテルブルクのスポーツチームと言えばサッカーのゼニトですかね。CLかELには毎年出てる気がする。
ちなみに今回スポーツ関連の観光は一切なし。ちょっと気にはなったけど、スタジアムの治安とかどうしても不安ですし。
さて、この日はまずエルミタージュの別館(エルミタージュのチケットで入れる別の建物)巡り。
ピョートル大帝の冬宮殿
エルミタージュの隣にある小さい博物館。まず入り口が地味で入っていいのかよくわからなかった。その上中に人が居なさ過ぎて不安になった。
展示品が少ないから写真も少ない。入口で建物と展示品の解説文(英語)を借りた記憶があるけど内容はほとんど忘れてしまった…。
さて、ここでサンクトペテルブルクに来て初めてネヴァ川を渡った。と言っても、この日は対岸までは行かずに中洲で止まったのだが。
ところで。この中洲を訪れた時、なんか貴族っぽいコスプレをした男女2人組に絡まれた(握手を要求された)。なんとか無視はしたけれど、そりゃあ東洋人見たらほぼ間違いなく旅行客だし金取ろうとするよね。
この数週間後にサンクトペテルブルクを訪れた友人も同じ2人組に絡まれたらしいので、気を付けましょう、というお話。
メンシコフ宮殿
ネヴァ川の中洲、聖イサク聖堂の向かい側くらいにある宮殿。一代で財を築くも最期はシベリアに流されたらしい人が住んでいたらしい。ここもエルミタージュの別館なのでエルミタージュの券で入れる。つまり学生なら無料で入れる。
ところで、私は入った建物の写真をあまり撮らなかったらしく、建物がどういう姿なのかを伝えることがあまりできていない。当然ここの写真も手元に無い。ので検索してください。
…なんかもっと色々見たような記憶があるのだけれど忘れた。写真もあんまり残っていない。この日辺りから、疲労の蓄積で意識と記憶が薄れていたらしい。
良さを説明できていない気がするけど、宮殿としては見ていて面白いものだった…と思う。たぶん。とにかくエルミタージュ他のせいで価値観が壊れている。
さて、この後はまたネヴァ川左岸に戻って、エルミタージュ新館へ。ちなみにここはエルミタージュ本館のチケットでは入れない。ここはまたまた長々と歩くことになったので、別記事で。
それにしても、エルミタージュだけでいくつの記事ができるんだ。
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