モスクワ・サンクトペテルブルク旅行記⑪ サンクトペテルブルク1日目① ロシア正教教会巡り
サンクトペテルブルクの街の名は、サンクトペテルブルク→ペトログラード→レニングラード→サンクトペテルブルクというように3度も変化していて、最終的にサンクトペテルブルクという元の名に戻っています。ところで、サンクトペテルブルクの名前はもとに戻ったのに、サンクトペテルブルクの周りの州の名前がレニングラード州のままなのはどういう意味があるんでしょうかね。
サンクトペテルブルクの名前は、キリスト教の使徒ペトロに由来するらしく、この都市を建設したピョートル大帝の名前の由来もこの方。日本語的には聖ペトロの街。明らかにドイツ語なのはその時代のロシアが見ていた先進世界の影響なんだろうか。街の父であり、かつロシアに東の大国としての地位をもたらした彼はやはり敬愛されているようで、サンクトペテルブルクには彼の影響を感じる場所がちらほら。
そして、彼を憧れたと聞くエカチェリーナ二世。彼女もまた、ロシアを代表する大帝であり、彼女の像や肖像画が数多くあるなどやはり多くの敬意を集めているようでした。今のロシア連邦が帝国の後継国家を自称しているとはいえ、そういう歴史がちゃんと息づいているのはいいな、と思いました。そんなエカチェリーナ二世に因んだ街、それがエカテリンブルグ…と思って調べたらこれはエカチェリーナ一世(ピョートル大帝の妻)に由来するらしい。なるほどそっちか…。
ところで、美術館とかに書いてる英語の文章を読もうとするとこの人たちの名前が出てくるわけだけど、英語名だとそれぞれPeter I、Catherine IIってなるの、日本人的には極めてややこしい。わかるけど面倒な風習だ。
というわけで、そんな歴史の街、サンクトペテルブルク観光編、始まります。
街歩き
サンクトペテルブルクの歴史地区は色々と法律で制限しているのだろうか、古い建物が多く、そして高さも揃っており、歩いていても目が飽きない、本当に楽しい街。そんな感じで散歩しながらいくつかの教会を巡ったので、まずはその教会を紹介。
ところで、私はロシア以外の海外に現時点で行ったことが無いので一般的な西欧の教会に行ったことが無い、ということになります。(長崎等の国内の教会は訪問済)欧州の教会の例としてロシア正教の教会しか巡ったことがないのですが、これまたなかなか偏った認知をしているなあ、と今になって思ったりします。
血の上の救世主教会
物騒な名前の教会ですが、これはこの教会の立つ場所が、ロシア皇帝アレクサンドル2世の暗殺事件の場所に立つことに由来するそうで。これを悼んで、後任のアレクサンドル3世が建設したそう。(これを建てたせいでまた帝国の財政が厳しくなったという話も)
カザン聖堂
カザン聖堂(この名前の聖堂はロシア各所にあるそうですが)は、ロシア正教の教会であるにも関わらず、西欧の教会に近い構造をしています。バチカンのサンピエトロ聖堂を模して造られたとか。
ナポレオンのロシア遠征戦勝記念の勝利記念の建造物としても扱われたらしく、その建物の前にはクトゥーゾフ元帥、バルクライ元帥の像が。クトゥーゾフ元帥は建物の中に眠っているそう。
ここは現役で祈りの場となっていることもあり、内部撮影禁止だったので中の写真は無し。壁一面の肖像画、というわけではなく、落ち着いた内装だったという印象でした。
聖イサク大聖堂
ネヴァ川の近くに立つ、大変に大きな教会。高さは100メートルを超え、サンクトペテルブルクのシンボルの一つ。その高さを活かした展望台もあり、上るとサンクトペテルブルクの市街が一望できます。…当然上るわけですが、その前に内部拝観。
地上60 mの高さの展望台へ、200段を超える階段を上って。螺旋階段のせいで目が回る。そして目前の景色は…?
さて、このように歴史地区を高所から見渡すことができたのは非常に良かった…よかったのですが。何故か我々が展望台に上っていた時間だけ雪が降ってくる不運。そして、周りにここより高い建物が無い港町。氷点下の中、強風が我々を襲ってきたのでした。間違いなく今回の旅で一番凍えた。顔が凍るかと思った。ここまで寒かったのはウラジオストクの凍海以外に記憶が無い。
そんなこんなでここから降りて、曇りに戻った天気を恨みながら、私たちはサンクトペテルブルクの街歩きを続けるのでした。つづく。
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